美伽のきもち

【エッセイ心の中の旅】優しさ

当たりまえのことですが、人から優しくされると誰でも嬉しいものです。
最近の世の中は、そこかしこに殺伐とした空気がはびこっていて、優しさのかけらを探すことさえ難しい時代かも知れませんが。

優しさ。

みんなそれを知っているけれど、いざ優しさが何なのか説明しろと言われると、なかなか難しいものです。
その人がいま必要としていること、求めていることをしてあげられることが優しさ……?
損得なしに、その人のことを思い行う行いが優しさ……?んんん……
優しさを「感じる」ことはできるのに、いざそれを言葉で表現するとなると、これ本当にムズカシイ。
たぶん、いま私は、毎日人の優しさを沢山感じていて、沢山の人の優しさに包まれていて、そのことがとても嬉しく、有難いと感じているのだと思います。
命が喜んでる!って言うのかな。
そう!間違いなく、私の命が喜んでいます。
「ありがとう、ありがとう」って脈打っている。

ところで、優しさってどこから来るのかしら。考えたことあります?教えて欲しいな。どこから湧いて来るんだろう。
脳の中の記憶?経験?それとも、神様がその人間を作ったとき最後の仕上げに一滴二滴ふりかけたエッセンス!?
エッセンスってことはないんだろうけど、でも、そんな感じかな。
今日、こうして文章を書いている今もね、有難すぎるほどの優しさをある方からいただきました。
実は、1ヵ月以上前からずっと首が痛くて困っていたんです。
その、ある方は、歌の世界の大先輩でいらっしゃるにもかかわらず、お会いするといつも「どう?元気?どこも悪くない?」って、必ず聞いてくださいます。
先日もつい甘えて、「首が痛くて、検査したばかりなんです」と答えると、「すぐにセカンドオピニオンした方がいい!」と仰り、頸椎の分野で大変権威のあるドクターに連絡をつけてくださり、あれよあれよと言ううちに私はその偉い先生の診察を受けさせていただいていました。
挙げ句、下世話な話で恐縮ですが、お会計をしようとすると、
「いいえ。◯◯様からお預かりしていますから」と、クリニックの方に言われ、ひっくり返りそうになりました。いえ、半分ひっくり返っていましたよ。
すぐにお電話で御礼と診察結果のご報告をしたら、なんと翌日、ご自分が信頼して長年体のメンテナンスを受けているという、ご高名な整体師の先生の施術を受ける手配までしてくださったのです。
ご自分のお仕事が忙しい合間を縫って先生方と私の検査データまでやり取りをし、私にも何度もメールをくださっていました。
「同じ歌手としてよーく分かるからね。痛いと歌えないもん。早く治そう!」
その言葉を聞いて、「先輩は、心と体、両方の痛みや辛さをよく知っている人なのだ」と、痛感しました。と同時に、この先輩の大きな優しさは、痛みや辛さが転化したものなのだと気がつきました。

デビュー当時、まだ白と黄色のワンピース二枚しか持っていなかった私に「背格好が同じだから、きっと着れるわよ」と言って、ご自分のオーダーメイドのドレスを沢山くださったのもこの方でした。
ドレスの美しさと、あまりの嬉しさに、一晩中着たり脱いだりしたことを忘れることはできません。
「私も将来必ず、後輩にこんな風にできる歌手になりたい」と、私はその時そう思ったのですから。

もう一つの優しさ。
1月の松の内が終わるとすぐに、インフルエンザにかかってしまいました。
あまりに高熱が続いてグッタリしていると、昨年一緒にお仕事をして友達になった女優さんが、
「食べ物とか飲み物とか大丈夫ですか?マネージャーさんやスタッフの方々が助けてくださっていたらいいのですが……もしおひとりで困っていたらお届けしますから、言ってくださいね。ちゃんと、扉に引っかけて帰りますからご心配はいらないですよ。返信は、困った時だけでいいですからね」とメールをくれたのです。
正直、とても驚きました。
人のことをこんなふうに心配して、こんな優しい言葉で伝えてくれる人がいるんだ!
嬉しくて、有難くて、思わず誰もいない寝室なのに「ありがとう!」と声に出してお礼を言っていました。
彼女はきっと、一人ぼっちの寂しさや一人ぼっちの心細さをよく知っている人だったのだと思います。
その健気なまでの優しさは、彼女の寂しさ、心細さの裏返しであり、彼女自身が一番求めているものなのかも知れません。

人間の優しさは、どうやら〈優しい〉原子だけで成立しているものではなさそうです。
複雑な成り立ちであればあるほど、それらが混じり合い発酵し、ちょうど心地良い温度の優しさになる。
何だかそんな気がします。

MFC187号(2020年2月号)より

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